『延喜式神名帳』式内社

伊勢国 穴師神社 研究

 

○伊勢国穴師神社とは?

 平安時代の延喜五年に全国の神社の所在を確認するために編纂された『延喜式神名帳』には、穴師を寺名に持つ神社が数社ある。また「アナシ」が原語であろうと考えられる神社が数十社ある。穴師神社の源流は、現在の奈良県桜井市にある穴師坐兵主神社と考えられるが、この穴師神社の氏族がどのような集団であったかは判っておらず、神道学界での研究対象の一つでもある。その穴師神社が伊勢国に存在することは判っていたが、歴史に埋もれて所在ははっきりしていなかった。明治以降、伊勢国穴師神社は神社本庁が公認する松阪市立田町にある穴師神社となっているが、現在は、式内社の研究で穴師神社の所在は金剛座寺の神社跡であることがほぼ確認されている。しかし、資料が乏しく詳しい研究はなされていない。

 住職である私は、穴師神社と共に歴史に埋もれた金剛座寺の歴史調査を行う過程においてさまざまな穴師神社に関する資料を入手することができた。それによってある程度の歴史の解明の一助となるであろう。私は神道研究については門外漢ではあるが、伊勢国穴師神社の研究については機会を見て学会に論文を提出するつもりである。その中間報告を兼ねて、このサイトは歴史に埋もれた伊勢国穴師神社の研究を掲載していきたい。

 

○伊勢国穴師神社に関する資料

・『「穴師神社」考』 広瀬明正 皇學館論叢46 昭和461210日 4664

・『穴師及び兵主社に就いて』 大宮守誠 歴史地理736 昭和14年−6

・『松阪』−よいよい神事の説明:135頁、写真146頁−昭和381019日、

淡交新社

・『式内社の研究 第9巻』92頁 雄山閣 昭和61

・『特選神名帳』174頁 内務省蔵版 磯部甲陽堂

『地名語源辞典』校倉書房

 

○現在の掲示板の略解説

延喜五年(905)に編纂された『延喜式神名帳』に登場する古社。発祥地は奈良桜井市の穴師坐兵主神社(あなしにますますひょうずのじんじゃ)であるといわれている。氏族はその字義から鉱山を生業とした一族であるという説があるが、詳しくはわかっていない。また現在の穴師坐兵主神社の祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)であるが、「あなし」とは「あらし」の古語であることから、本来の祭神は風神であるとの説もある。

 

しかし、現在佐奈神坂から移り住んだと古伝のある松阪市立田町穴師神社の『ヨイヨイ神事』という祭では、明治頃まで金剛座寺より祭に使う御幣(ごへい)を頂戴し、その御幣を「天手力男命(たぢからおのみこと)をお迎えする」と呼んでいることから、伊勢国穴師神社の祭神は、同地の佐那神社と同じ天手力男命と考えられる。本来、佐那神社は里宮で、神体山がこの山であるらしい。「金剛座寺」の寺名の由来を、神仏習合による本地垂迹説に立つと、天手力男命の本地仏は金剛力士であり、金剛(力士)の座(ましま)す寺という意味であろう。当寺に残る穴師神社の神像は、両手を合掌印に作り直されており、神仏習合の影響を強く受けたことを物語っている。

 

一時、伊勢国穴師神社の所在地は歴史に埋もれ、近年まで当社は「愛宕(あたご)さん」と呼ばれていたが、式内社の調査研究によって、この神社が穴師神社跡であることが確認された。

 

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